教員がデジタル教材を作成するためのワークショップを見て思ったこと
ーDr. Raoによる教員研修を通じてー
執筆:早稲田大学大学院 梅津 遼太
Kavita Rao先生は「学びのユニバーサルデザイン(Universal Design for Learning)」のフレームワークと、テクノロジーの応用のあり方について研究されているハワイ大学のAssociate Professorです。
今回の視察では、Rao先生による、現地の教員に対する研修に参加する機会を得ることができました。
梅津個人としては、今年4月に米フロリダ州で行われたUDLのカンファレンス以来2回目の対面とあったため、どのような実践を見ることができるか、大変楽しみにしていました。
本研修におけるゴールは、学習者が感情に結びつく語彙を習得するための教材を、PowerPointを用いて作成することです。
「社会性と情動の学習(Social and Emotional Learning)」にも直接言及されていたため、その文脈における教材作成のワークショップとも捉えることは可能でしょう。
写真や映像の撮影を断られてしまったため、実物をお見せできないのが残念ですが、その詳細は報告書にて参照してください。
では、教員がPowerPointで教材を作れるようになることは、学習者の体験にとって、どのような変化があるのでしょうか。
もし生徒一人ひとりがデバイスを持っていれば、自身の手元で、自身の思うように操作することが可能になります。
データは即時に移行が可能であり、自作であれば著作権も心配せずに済みます。
自宅に帰ってからも参照することが可能であり、教材による場所の限定が減るということでもあるでしょう。
教科書もまた教材ですが、教科書を生徒に丸投げしたところで全員の学びが確保されたとは言えません。
生徒一人ひとりの文脈を踏まえてそれらの素材をどう調理するかは、教師の役割の一つと言えるでしょう。
いわゆる授業における”ICT”というとき、みなさんは何を想像されるでしょうか。
ある人にとっては、大画面に映し出されたスライドの数々であり、イメージを掴みやすくするための映像であったでしょう。
私の目から見た、Rao先生の研修の特異な点は、”ICT”をそれぞれの生徒の手元に柔軟な形で届けようとしていることにあります。
教室にいる全員が映画のように、同じ光・音・言語でコンテンツと交流するのではなく、まるで飛行機に乗る乗客のように、一人ひとりがディスプレイの中身を自ら調節しながら交流できるのです。
学ぶ主体を考えたとき、どちらの方が生徒らにとって学びやすいかは自明でしょう。
教科書の音声を自分の好きなタイミングで再生でき、よくわからなかったところは何度でも見直すことができるのです。
教材を作るときにもちろんプリントも選択肢のひとつですが、主体的な学習者を育む環境をつくるという点では、より柔軟さのあるデジタルのものにも今後注目したいと思いました。