執筆:栗原 慎二
いじめへの取り組みを整理してみましょう。まず、いじめているのも見て見ぬふりをするのも子どもであるということです。この事実から、いじめ対策を始めていく必要があります。いじめているのも、いじめられているのも子どもなのに、なぜ親や教師が対策をするのか。見て見ぬふりをするのも子どもなのに、なぜ子どもたちは解決しないで教師が解決に奔走するのか。考えてみればおかしな話だと思います。
次に風土の問題です。先ほど述べたように、いじめはどんなクラスも起こる可能性がありますので,ここで問題にしたいのは,いじめが継続したり蔓延したり、「やめなよ」という人間がいないことで自浄作用が働かないことです。先に述べたように,森田の定義からすれば「集団の中で優位に立つ者とそうでない者」がいるような学級では,当然,いじめが発生しやすくなることが予想できます。そういう対人関係を放置している学級では「先生は信用できない」となりますし,思いやりに欠け正義感が乏しく、隣でいじめが起こっていても見て見ぬふりをするような友人関係が当たり前の空間として、いじめはどうしても継続してしまうでしょう。
従来の取り組みは、どちらかというと加害者に対して毅然と対応し、被害者を守るという方向性でした。毅然とすべきは,加害者に対してではなく,いじめを生んでしまうような人間関係の在り方に対してなのです。重要なのは,予防として,あるいは早期介入としてのいじめ対策であり,それは、まずはいじめを生まないような,思いやりにあふれ,正義が通る、いじめを許容しない空間をつくるです。また,それを可能にする子どもを育てることに,意図的・計画的に取り組むということです。
ここで、取り組む教師にも問題があります。子どもがいじめを報告してきてもいじめに気付けない教師は、子どもからの信頼を失っています。感じ取る感性を持っていることや子どもの問題にはきちんと誠実に対応できるであること、また,学校体制として,いじめをキャッチするシステムが整っていることも重要でしょう。たとえばアセスを定期実施することは、潜在的な危険をキャッチするのに役に立つでしょう。