執筆:栗原 慎二
いじめはどうすれば防げるか―いじめ対応の大原則―
いじめはどうすれば防げるのでしょうか。
これまでいじめ問題が起こると,マスコミがそれを大きく取り上げ,学校側が「見つけられずに申し訳ない」といったコメントするようなことがよくあります。
しかし,いじめの発見は困難で,子どもたちに報告しろと言っても報告することは少なく,仮に見つけて手を打っても4割しか解決できないのが現実です。そしてそれは,いじめを大人が見つけて大人がなんとかするという考え方自体がそもそも間違っていることを示唆していると思うのです。
では、どのしたらいいのでしょうか。
森田先生の調査結果では,いじめを話す相手は,教師や親が20%程度であるのに対して、友だちは44.8%となっており,一番大きな割合を占めています。また、いじめを止めてほしいと思っているのも58.8%で「友だち」が一番多いのです。つまり、ここにいじめ対策のポイントがあります。
いじめを親や教師は知らなくても、必ず知っている人がいます。まず,被害者は絶対に知っています。加害者も知っています。その周りにいる友人たちもかなりの割合で知っています。そして、被害者は特にいじめを友だちに止めて欲しいと思っています。これらから、いじめ対策は「子ども」からスタートするべきではないか、と私は考えているわけです。被害者も加害者も、周りではやし立てる観衆も、見て見ぬふりをする傍観者も,みな子どもです。子どもがいじめを自分たちの問題として、解決していくような力をつけていくことが本質的な対策になるのではないかと私は考えています。
まとめ
最後に今までの整理をしましょう。始めに2つの事例を挙げました。2つの事例は、いじめは発見もできず犯人の特定もできないこと可能性を示しました。また調査結果についても、いじめの把握もできていないし、実際にできていないことを示していました。また別の調査では、担任が子どもと同等かそれ以上にいじめを把握している学級は10%未満である(森田・清水、1986)という結果もあります。救済的な行動を取る子どもは年齢とともに減少し続ける一方で、友人にこそ助けて欲しいと思っているのです。
私が思うのは、こういう状況の中で全てのいじめを教師が見つけ、全てのいじめを教師が完全に防ぐという発想自体がそもそも不可能であるということです。被害者も加害者も,見て見ぬふりをするのも子どもです。だからこそ、いじめ対策は子どもの中からスタートさせなければならないでしょう。
ただし、一つ問題があります。それは,現代の「学級」が一定のつながりをもった集団ではなく,ばらばらの,一種の集合に過ぎなくなってきているのではないかということです。そうだとすれば、いじめは「他人の事」になります。例えるなら、ちょうど満員電車に乗り合わせた乗客同士のようなものです。満員電車のなかでのトラブルは,普通の感覚であれば,「避けるべきもの」「とばっちりを受けないようにすべきもの」であって,「積極的に関わって解決すべきもの」とはなりません。つまり,集合化した学級で起こるいじめは,自分に火の粉が降りかからないようにするべきものであって,被害者にも加害者にも関心が向きません。
そこで,いじめ対策には2つのポイントがあることになります。1つ目は子どもの中からいじめ対策を始めるということ、2つ目は学級を満員電車のような集合状態ではなく、つながりのある子ども集団に変えていくことです。この2つからいじめ対策をスタートすることが必要ではないかと考えます。
森田洋司・清水賢二 1996 「いじめ-教室の病い」金子書房,
森田洋司・滝 充・秦 政春・星野周弘・若井彌一編著 1999 日本のいじめ―予防・対応に生かすデータ集 金子書房