執筆:栗原 慎二
ADHDとは
発達障害の一つで、注意欠陥多動性障害のことです。
詳しい原因はわかっていませんが、脳の機能に障害がある、あるいは偏りがあるという説が一番有力で神経伝達物質であるドーパミンやノルアドレナリンがやや不足気味であるといわれています。
そのため、自分の意識や行動をコントロールする脳の働き(実行機能といいます)が弱く、また苦手で、それが「多動性」「衝動性」「不注意」といった行動として表れてしまいます。
なお、ADHDといっても多動性は高いけれども衝動性はそれほどでもない子どもや、多動性も衝動性もないけれども、不注意が強く忘れ物が多かったり、ボーとしていることが多いという子どももいます。
同じADHDでもそのあらわれ方は人によって違うということです。
よくある誤解と間違った接し方
1)親の愛情不足?
間違いです。脳の機能障害であり、先天的な要因によって起こる可能性が高いです。教師がこのように考えて保護者に接することは保護者を追い詰めることになってしまうなど、マイナスの影響がはるかに大きくなるのできちんとした理解が必要です。
2)しつけの問題。厳しく指導すれば大丈夫
「通常の指導をしてもなかなかうまくいかない、だからもっと厳しく」ということになのでしょう。しかし、考えていただければわかりますが厳しくしたらノルアドレナリンが分泌されるようになるのでしょうか?そんなことはあり得ません。
目が悪い人のことを考えてみてください。目が悪くてよく見えない人に、「ちゃんと見ろ!」と厳しく言うことに意味があるでしょうか?あるいは耳が悪くてよく聞こえない人に「ちゃんと聞け!」ということに意味があるでしょうか?
学校の先生であれば、座席を前にしたり、隣の子どものノートを見させてあげたりするでしょう。眼鏡をかけたり、補聴器をつけたりするるように促すでしょう。厳しくすることに意味はないばかりか子どもとの関係を悪化させ、自尊感情を傷つけるだけです。
3)何度言ってもわからないのだから痛い目に合わせて気づかせる
能力が高いのにサボってやらない子供に対してであるならば、こうした関わり方もありうるかもしれません。しかし、発達障害の子どもは実行機能に障害があるわけです。
障害のある子どもをわざわざ痛い目に合わせて、自尊感情を傷つけて、「どうせ自分にはできない」と思わせることに価値があるのでしょうか。心理学では「人は認知に合わせて行動する」と言われます。つまり、自己認知が否定的な場合は、「どうせ…」という思いが先行し、結局やらなかったり、やり始めても困難にぶつかると「やっぱり自分にはできない」と思って挫折しがちです。
4)そのうち何とかなる
確かに、障害の程度が軽かったりすれば、他の機能でカバーすることはできるかもしれません。また、ADHDの場合は年齢を重ねると症状が目立たなくなるという側面があります。
ただ、明日から何とかなるということではありませんし、ていねいな支援をしていれば体験せずに済んだマイナスの体験を積み重ねてしまうことになります。それは、その時は問題として顕在化しなくても思春期や成人期になってうつや様々な症状としてあらわれることがあります。障害の程度が重かったり、他の機能でカバーしきれない場合はなおさらです。
10年後に何とかなったとしても、その10年間に受ける負の体験を少しでも減らした方がよいのは間違いありません。
次回は、「ADHDをどう理解すればよいのか」とテーマでその特徴と行動理解の観点を考えていきます。